エミリコの自分の部屋が登場する。部屋の中には、びっしりと貼られた自分自身の説明書。自分自身の説明書を見ながら、自分自身のことを学ぶ。人間だと生まれた時から説明書なんてものはないし、説明書というのは”親”である。しかし、この親(説明書)も必ずしも正しいとは限らない。この世の中に、自分自身の説明書があれば、手に入れたい。そう考えている人はいるだろう。説明書があれば、相手に説明書を渡せば、それで自分を正しく使ってもらえる。壊れることはないだろう。でも、そもそも自分自身の説明書は必要なのだろうか。説明書通りに動くものは、それはそれでいいかもしれないが、人間の場合は、本来存在しない。人生というのが、説明書を作るための過程なのかもしれないと考える。
シャドーハウス(ソウマトウ) – 第3話「説明書」の感想

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